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豊田理研について

      

財団概要

公益財団法人豊田理化学研究所は、豊田佐吉の長男でトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎により、昭和15年9月、東京都港区芝浦に設立された。設立の趣旨は我国独自の科学技術の振興開発を図り、学術・産業の発展に貢献することである。
この研究所では、ロッシェル塩、蓄電池、方向探知機をはじめ、幾多の研究を行い、一部は特許取得、製品製造に至った。

しかし、終戦と共に始まった未曾有の経済的混乱により、独自の研究活動は縮小を余儀なくされた。

昭和36年、限られた財源の下で設立趣旨を効率的に実現するため、名古屋市の豊田中央研究所内に移転し、活動の主体を委嘱研究と研究者の育成に移した。

平成16年度からは、財団の当初の狙いである「専任研究員による研究」を行うために、フェロー制度を発足させた。
その後、公益法人改革三法の施行により、事業内容の一部を見直し、平成23年度より「公益財団法人豊田理化学研究所」に移行して現在に至っている。

理事長ご挨拶

公益財団法人豊田理化学研究所は、「学術及び産業の進歩発展に資するため、理化学の研究及びその応用を図ること」を目的として、昭和15年9月、東京芝浦に設立されました。

財団の設立者は、昭和12年にトヨタ自動車工業を創業した豊田喜一郎です。

喜一郎は、財団の設立趣意書・運営方針のなかで、
・ 着々基礎を確立するに努め度し
・ 研究題目を限定せず自由研究とし度し
・ 閑却され勝ちの学理も重視し度し
・ 根本的原理の探求を主とし、その成果として、生産的に有利なものは工業化を図り、学理的発達を助長するものはこれを進め、以って社会国家に貢献する
と謳っています。

昭和15年、高い理想を掲げ、30名余の職員を持って設立された研究所は、豊田佐吉の思いを具現した電池の研究を始め、無線方向探知機の実用化、強誘電体ロッシェル塩を利用する圧電素子の開発等32分野の研究が活発に推進され、昭和18年には総員69名に達しました。

しかし、不幸にして、創立の翌年には日本自体が欧米との全面戦争に突入し、5年後には終戦を迎えてしまいました。
戦後の経済的混乱の中、豊田理研は文部省が指定する研究財団法人として国の助成を受け、更に豊田関係会社の継続的支援により、研究所の規模を大幅に縮小した上でのことながら、研究を続けて参りました。その間にあって、昭和32年には、半導体歪計の実用化に成功しております。

昭和36年、新しい発展をめざして、研究所を東京から名古屋の豊田中央研究所内に移し、少ない資金を効率的に運用して、学術及び産業の振興に寄与出来る道を模索して参りました。昭和38年に研究嘱託制度を新設し、昭和49年には刈谷少年発明クラブを発足させております。これら事業は今日まで、研究者、あるいは青少年の育成・支援に微力ながら貢献できているものと確信しております。

その後、創業の基本精神をさらに強力に推進するため、平成16年、大学等の研究機関で研鑽を積んだシニア研究員を「豊田理研フェロー」として採用し、自らが研究を推進する制度を発足させました。現在は、研究助成「豊田理研スカラー」「特定課題研究」と共に、この「豊田理研フェロー」制度を豊田理研の基幹的事業と位置付けております。

当財団も、公益法人改革三法の施行により、平成23年4月1日をもって「公益財団法人豊田理化学研究所」に移行しました。これを節目として、今一度当財団設立の原点を見つめ、その趣旨遂行に最善を尽くし、科学技術の独自の発展に寄与してまいりたいと思っております。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻のほどをお願い申し上げます。

豊田章一郎

所長ご挨拶

2018年、公益財団法人豊田理化学研究所はその歴史に新たなページをきざみます。豊田理化学研究所の中興の祖ともいうべき前所長の故井口洋夫先生の広範なご業績を後世に伝える場、そして研究所の新たな活動拠点としての「井口洋夫記念ホール Hiroo INOKUCHI Hall」が本年2月末に完成するのです。
現在の豊田理研研究棟に隣接し、木立に囲まれ、池に面したこの「井口ホール INOKUCHI Hall」(通称)が、フェローをはじめとした多くの研究者達の研究発表会や講演会、国際会議などに活用され、新たな研究成果の発信源となると共に、 井口先生のご業績に触発された若き研究者達のネットワーク構築のハブとしての役割を担えるよう、しっかりと活用していきたいと思っています。

75年余の歴史ある豊田理研にとっては、2011年の研究棟新設以来の新たな一章の始まりといえましょう。

豊田理化学研究所は、「豊田理研フェロー」「豊田理研スカラー」「特定課題研究」をはじめ、「物性談話会」「分子科学フォーラム」「豊田理研懇話会」など、幅広い研究活動、研究支援活動を実施してきております。
今後は、時代の変化にも柔軟に対応しつつ、若手育成や機関間連携など、より良い制度、事業をも展開していきたいと思っております。

その若手育成の新たな試みとして2年前に始めた「異分野若手交流会」も軌道に乗ってきました。
毎年研究助成を行っている全国の大学の若手研究者集団「豊田理研スカラー」30数名を中心に、「特定課題研究」代表者数名と、メンター役としての熟達頭脳集団「豊田理研フェロー」と理事約10名も参画した、一泊二日合宿形式の交流会です。 この交流会では、初めて出会った研究者たちの間で「異分野連携研究の芽」を生み出すことを奨励し、支援しています。
これらの「芽」が将来大きく育って新たな研究分野として発展してくれることを密かに願っています。
この新しい分野は、10年前のあの「豊田理研異分野交流会」から生まれたのだね、、、というような。

これに加えて、新たな若手人材育成制度の導入も検討しています。
これらの活動を通じて、豊田理化学研究所が新たな研究成果の発信源となると共に、異分野交流・若手人材育成・研究者ネットワーク構築のハブとなることを目指しています。

本年も、豊田章一郎理事長の崇高な経営方針の下、先代所長の故井口洋夫先生の高潔なご遺志を引き継ぎ、創立75周年余の伝統と実績を誇る豊田理化学研究所の運営にしっかりと取り組んでまいります。
そして、それを通じて、わが国の科学技術の発展に微力ながら尽くしたいと存じますので、引き続きご指導、ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

2018年1月1日
玉尾皓平

設立趣意書

本所設立者の先考豊田佐吉(国定教科書に掲載の自動織機の発明者)は、独創的発明の天賦を以て一意発明研究に志せるも、資金欠乏の為め志空しく挫折するに至れるを以て、先考は研究資金を得る為め親近者を網羅して営利会社を設立し、自らは刻苦初志の発明研究に没頭し、遂に自動織機の発明を遂げて、而も之が製作所即ち豊田自動織機製作所を設立したり。

茲に於て本発明者は、自己の嘗めたる苦痛を後進に味ははざらしめ、又永遠に発明研究せしむることを希望し、社業の定款に発明研究を為すべきことを明示して、之が経費の支出をも規程せるに依り、同社は過去数十年間に各種の研究を遂行し、右自動織機の根本的改良と、従来我国にて未だ製作されず而全世界に於ても研究の域を脱せざりしハイドラフト精紡織を完成して、昭和6年以降紡機の輸入を完全に防圧し、加之、海外の市場にまで進出し、更に国産自動車の製作方法の研究に移り、之を完成して国産自動車供給の端緒を開きたり。

斯の如く故人の遺業は隆盛に赴くと共に、同社発明研究の目的亦順次遂行されつつありと雖も、一営利会社内にて之を行なふは、其の事業に直接関係あるものの研究発明に偏し異種の研究は事業と相剋あり、延て同社創立の真意に悖るなきを保し難く、新に本財団法人を設立し広く理化学に根底を有する研究を行なひ、一は以て国益の増進に貢献し、一は以て故人の業績を永久に記念せんとす。
我国は、明治初年以来欧州文明を吸収消化し、茲数十年間に著しき発展をなし、最近に至りては最早欧米一等国に遜色を看ざるに至れり。斯く短時日に急激なる進歩発展をなせる為め、従来、外国文明を取り容るに全力を注ぎたる結果、外国人は我が国民を模倣に長じたる国民と思惟し、我も亦此の範疇を脱し得ざるもの多々あり。

今や、第二次欧州大戦に際会し、欧州文明を取り容るゝの殆んど至難にして、且つ列国共に研究部門を閉して己の長所を窺知し得ざらしむるに腐心しつつある秋、愈々独立独歩自ら研究し自ら新しき道を開拓すべき研究所の設立は、焦眉の急務たり。
顧て、現今に於ける研究発明の状態を観るに、明治時代に於ける如き偶然又は僥倖に基く発明は之を期待し得ず、深淵なる学理の進歩と之に伴ふ専門的設備と学理的素養を有する人的要素に待たざるべからず。理化学的深淵なる原理の探求は、其の根本的方面に於て相関々係を有するもの尠からず。其の枝葉より観れば非常に間隔あるものも、其の根本に於ては同一原理に出発するものにして、一つの研究は予知せざる他の研究の補助となり、又は原理となることあり。

「依て本所は研究事項を限定せず」寧ろ根本的原理の探求を主とし、之によりて生ずる枝葉的研究に於て、国家に生産的有利なるものは之が工業化を図り、学理的発達を助長するものは、之を学理的立場より発表すると共に、益々深く之に進む所あらしめんとす。要は形而下、形而上両方面の研究を行なふに在り。

而して、研究者の思ふ所に従ひて真の研究を遂げしめんと欲せば、生活の不安、研究の不安、将来の不安を有せしめず、研究者先天的の天賦又は性質に任せ、自由なる立場に置て初めて真の研究は完成さるべく、之が達成の為め研究者の自由意志を尊重し、人物主意の研究をなさしむべき研究所を作り、此所に於て亦新しき研究員をも養成し、人物の出現と研究範囲を拡大し、以て社会国家に貢献せんとす。

沿革

1940 財団法人豊田理化学研究所設立 (東京市芝区西芝浦)

第1回理事会開催 … 豊田喜一郎 初代理事長(初代所長)に就任
1942 「豊田研究報告」第1号創刊
1945 山口輿平理事 第2代所長に就任
1953 石田退三 第2代理事長に就任
1961 (株)豊田中央研究所が名古屋市に創設されるのに合わせ、豊田理研も同所に移転
(名古屋市天白区)
1963 「研究嘱託」制度発足

「物性談話会」… 名古屋大学と共催で開始
1969 「奨励研究員」事業発足
1974 豊田章一郎 第3代理事長に就任

「刈谷少年発明クラブ」発足(刈谷市神明町)
1980 (株)豊田中央研究所と共に、豊田理研も移転(愛知郡長久手町)
1990 「特別研究」事業発足
1996 「分子科学フォーラム」… 岡崎分子科学研究所と共催で開始
2004 「豊田理研フェロー」制度発足

刈谷少年発明クラブ移転(刈谷市司町)
2006 「特定課題研究」事業発足
2009 井口洋夫理事 第3代所長に就任
2011 「公益財団法人豊田理化学研究所」へ移行登記
「研究嘱託」制度の運用を見直し、名称を「豊田理研スカラー」に変更
「豊田理化学研究所」研究棟建設
「常勤フェロー」、「客員フェロー」、「特定課題研究」、「スカラー」 公募開始
2014 「刈谷少年発明クラブ」分離・独立
2015 豊田理研ワークショップ開始
2016 玉尾皓平理事 第4代所長に就任
2017 豊田理研スカラー共同研究開始
2018 井口洋夫記念ホール建築

組織図