公益財団法人豊田理化学研究所は、豊田佐吉の長男でトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎により、昭和15年9月、東京市芝区西芝浦に設立された。設立の趣旨は我国独自の科学技術の振興開発を図り、学術・産業の発展に貢献することである。 この研究所では、ロッシェル塩、蓄電池、方向探知機をはじめ、幾多の研究を行い、一部は特許取得、製品製造に至った。 しかし、終戦と共に始まった未曾有の経済的混乱により、独自の研究活動は縮小を余儀なくされた。 昭和36年、限られた財源の下で設立趣旨を効率的に実現するため、名古屋市の豊田中央研究所内に移転し、活動の主体を委嘱研究と研究者の育成に移した。 平成16年度からは、財団の当初の狙いである「専任研究員による研究」を行うために、フェロー制度を発足させた。 その後、公益法人改革三法の施行により、事業内容の一部を見直し、平成23年度より「公益財団法人豊田理化学研究所」に移行して現在に至っている。
2020年豊田理化学研究所創立80周年の大きな節目を機に、豊田家三代に伝わる想い:豊田佐吉「障子を開けよ、外は広いぞ」、豊田理研創設者豊田喜一郎「自由研究、基礎学理の確立、閑却されがちな分野の重視」、現理事長豊田章一郎「次代を担うグローバル人材育成 Creation, Challenge, Courage(3C)精神」、を再確認し、これまで以上に世界に発信する・未来をつくる・活力ある豊田理研、いわば「新生豊田理研」に向けた新たな制度設計に取り組んできました。昨年は、それらの新しい制度の運用を開始した「新生豊田理研」初年、ともいうべき年でした。本年はそれらを全てしっかりと推進してまいります。
若手育成「スカラー制度」の主な強化策は、①「異分野若手交流会」参加者間の交流から生まれる「スカラー共同研究」の選抜・再編を経る最長6年間の継続支援制度の導入、②スカラーの中から特に選ばれた新進気鋭の研究者を支援する「ライジングフェロー制度」の創設です。これらの新制度・強化策によって、豊田理研スカラーに選ばれることが、これまで以上に若手研究者のキャリアップに効果を発揮し、ステータスとなることを目指しています。
グローバル若手人材育成のための「海外大学院進学支援制度」の支援対象者「Toyota Riken Overseas Predoctoral Fellow」は4年目を迎える現在までに8人が採択され、オックスフォード大やシカゴ大などで学位取得を目指しています。学位取得まで継続的にしっかり支援し、学位取得後は国際舞台での活躍に期待しています。
世界トップレベルの実績をもつ定年退職教授を支援する「フェロー制度」は「シニアフェロー制度」と名前を改め、定年退職少し前から支援を開始し、従来の豊田理研@長久手で一人で研究するスタイルから出身研究機関等での研究継続を数年間強力に支援する方式に大きく舵をきります。現在は新旧制度の過渡期で、各フェローにとって最適の研究環境として豊田理研と出身研究機関が混在した状況になっています。フェローの皆さんには、コロナ禍と制度過渡期が重なり、種々ご不便をおかけしているかとも思いますが、そんな中でも研究に真摯に取り組んでおられる姿には敬意を表したいと思います。
コロナ禍も3年が経過し、会議やイベントは対面とオンラインのハイブリッド方式のウイズコロナ運営が定着しましたが、「異分野若手交流会」などは泊まり込み対面方式の良さに異論をはさむ余地はなく、早くコロナ禍が終息し、あるべき姿に戻ることを願ってやみません。
本年も、豊田理研がわが国の物質科学研究分野を中心に人材育成・人材ネットワーク構築と新分野創成の拠点として科学技術の発展に貢献すべく、しっかりと取り組んでいく所存です。引き続きのご支援、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
2023年1月1日 玉尾皓平
本所設立者の先考豊田佐吉(国定教科書に掲載の自動織機の発明者)は、独創的発明の天賦を以て一意発明研究に志せるも、資金欠乏の為め志空しく挫折するに至れるを以て、先考は研究資金を得る為め親近者を網羅して営利会社を設立し、自らは刻苦初志の発明研究に没頭し、遂に自動織機の発明を遂げて、而も之が製作所即ち豊田自動織機製作所を設立したり。
茲に於て本発明者は、自己の嘗めたる苦痛を後進に味ははざらしめ、又永遠に発明研究せしむることを希望し、社業の定款に発明研究を為すべきことを明示して、之が経費の支出をも規程せるに依り、同社は過去数十年間に各種の研究を遂行し、右自動織機の根本的改良と、従来我国にて未だ製作されず而全世界に於ても研究の域を脱せざりしハイドラフト精紡織を完成して、昭和6年以降紡機の輸入を完全に防圧し、加之、海外の市場にまで進出し、更に国産自動車の製作方法の研究に移り、之を完成して国産自動車供給の端緒を開きたり。 斯の如く故人の遺業は隆盛に赴くと共に、同社発明研究の目的亦順次遂行されつつありと雖も、一営利会社内にて之を行なふは、其の事業に直接関係あるものの研究発明に偏し異種の研究は事業と相剋あり、延て同社創立の真意に悖るなきを保し難く、新に本財団法人を設立し広く理化学に根底を有する研究を行なひ、一は以て国益の増進に貢献し、一は以て故人の業績を永久に記念せんとす。 我国は、明治初年以来欧州文明を吸収消化し、茲数十年間に著しき発展をなし、最近に至りては最早欧米一等国に遜色を看ざるに至れり。斯く短時日に急激なる進歩発展をなせる為め、従来、外国文明を取り容るに全力を注ぎたる結果、外国人は我が国民を模倣に長じたる国民と思惟し、我も亦此の範疇を脱し得ざるもの多々あり。
今や、第二次欧州大戦に際会し、欧州文明を取り容るゝの殆んど至難にして、且つ列国共に研究部門を閉して己の長所を窺知し得ざらしむるに腐心しつつある秋、愈々独立独歩自ら研究し自ら新しき道を開拓すべき研究所の設立は、焦眉の急務たり。 顧て、現今に於ける研究発明の状態を観るに、明治時代に於ける如き偶然又は僥倖に基く発明は之を期待し得ず、深淵なる学理の進歩と之に伴ふ専門的設備と学理的素養を有する人的要素に待たざるべからず。理化学的深淵なる原理の探求は、其の根本的方面に於て相関々係を有するもの尠からず。其の枝葉より観れば非常に間隔あるものも、其の根本に於ては同一原理に出発するものにして、一つの研究は予知せざる他の研究の補助となり、又は原理となることあり。 「依て本所は研究事項を限定せず」寧ろ根本的原理の探求を主とし、之によりて生ずる枝葉的研究に於て、国家に生産的有利なるものは之が工業化を図り、学理的発達を助長するものは、之を学理的立場より発表すると共に、益々深く之に進む所あらしめんとす。要は形而下、形而上両方面の研究を行なふに在り。 而して、研究者の思ふ所に従ひて真の研究を遂げしめんと欲せば、生活の不安、研究の不安、将来の不安を有せしめず、研究者先天的の天賦又は性質に任せ、自由なる立場に置て初めて真の研究は完成さるべく、之が達成の為め研究者の自由意志を尊重し、人物主意の研究をなさしむべき研究所を作り、此所に於て亦新しき研究員をも養成し、人物の出現と研究範囲を拡大し、以て社会国家に貢献せんとす。(1940年9月)
1940 | 財団法人豊田理化学研究所設立 (東京市芝区西芝浦) 第1回理事会開催 … 豊田喜一郎 初代理事長(初代所長)に就任 |
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1942 | 「豊田研究報告」第1号創刊 |
1945 | 山口輿平理事 第2代所長に就任 |
1953 | 石田退三 第2代理事長に就任 |
1961 | (株)豊田中央研究所が名古屋市に創設されるのに合わせ、豊田理研も同所に移転 (名古屋市天白区) |
1963 | 「研究嘱託」制度発足 「物性談話会」… 名古屋大学と共催で開始 |
1969 | 「奨励研究員」事業発足 |
1974 | 豊田章一郎 第3代理事長に就任 「刈谷少年発明クラブ」発足(刈谷市神明町) |
1980 | (株)豊田中央研究所と共に、豊田理研も移転(愛知郡長久手町) |
1990 | 「特別研究」事業発足 |
1996 | 「分子科学フォーラム」… 岡崎分子科学研究所と共催で開始 |
2004 | 「豊田理研フェロー」制度発足 刈谷少年発明クラブ移転(刈谷市司町) |
2006 | 「特定課題研究」事業発足 |
2009 | 井口洋夫理事 第3代所長に就任 |
2011 | 「公益財団法人豊田理化学研究所」へ移行登記 「研究嘱託」制度の運用を見直し、名称を「豊田理研スカラー」に変更 「豊田理化学研究所」研究棟建設 「常勤フェロー」、「客員フェロー」、「特定課題研究」、「スカラー」 公募開始 |
2012 | 「豊田理研懇話会」開始 |
2014 | 「刈谷少年発明クラブ」分離・独立 |
2015 | 豊田理研ワークショップ開始 |
2016 | 玉尾皓平理事 第4代所長に就任 |
2017 | 豊田理研スカラー共同研究開始 |
2018 | 井口洋夫記念ホール建築 |
2019 | 海外大学院進学支援事業発足 |
2020 | 豊田理研創立80周年 |
2021 | 豊田理化学研究所80年史発行 |